少し前に、高知県立美術館で開催されている「イッタラ展」に行きまして。
イッタラの主力商品であるガラス製のグラスやフラワーベース、陶器のティーポットなど、生活の道具としておなじみの作品はもちろんのこと、職人の技をこれでもか!と生かしたアート作品の数々が光を反射してキラリと輝く様は、思わず目を凝らして見入ってしまいます。
色の濃淡も計算されて作られた、ガラス製品の美しさよ。
こうして「鑑賞する」ために展示され、生活のノイズから切り離して集中して観る生活道具もいいものですね。
我が家にイッタラ製品はありませんが、日ごろ愛用している食器類も、料理を盛り付ける本来の用途でしっかりと役目を果たしてくれるだけでなく、その使い勝手と見た目の良さも我々の生活を楽しませてくれるのに一役買ってくれているのだなと改めて実感します。
ヤマザキ春のパン祭りで頂いた白い皿しかり、波佐見焼のマグカップしかり。
大雑把で不注意な私にとって、丈夫で割れにくく、レンジ対応もしている大衆向け食器はまさに貝合わせのようにぴったりです。
うすはりグラスなどは最高に飲み心地が良いですが、私が扱えば十中八九傷つけてしまうから…さ…
いろいろな物を生活の中で使っていると、どれが自分に合うか自ずとわかってきます。
どういう形が、どれくらいの量が、どういう材質が、生活にぴったり合うか。
「他人の」ではなく、「自分の」生活に合うか。
試行錯誤を繰り返しながら、それを知るのが経験と成長なのかもしれません。
他人と自分の生活は違うからこそ、なるほどそういう使い方もあるのか!と新鮮な発見を味わえて楽しいんじゃないでしょうか。
極限と呼ばれるほとんど物を持たないミニマリストの生活も、多くの物を整然と並べてきちんと使う人の生活も、それぞれのこだわりと暮らしが見えてめちゃ面白いのです。
同じ物でも人によって使い方は違うし、使う頻度も違うし、でもその違いは比べてどちらが優れているか競うものでなく、本人が満足していればそれでOKなのだと常々思います。
物は生活とともにある。
その人の、生活とともにある。